ゴーゴー幽霊船の考察Part5
前回は空の雷管の別の意味について軽く触れました。前回もいいましたがパート3、パート4のどちらの考察でも、今後の考察に支障は無いのでしっくりくる方を採用してもらえればと思います。
今回から改めてゴーゴー幽霊船の歌詞の意味について考察して行きます。てか1番のAメロのなげぇな。
https://www.youtube.com/watch?v=2PqxOytUjz0
1番Aメロ編その4
"あいも変わらずにアンドロイド君を本当の嘘で騙すんだ"
あいも変わらずにアンドロイド(友人)は、君(セブンティーン)を本当の嘘で騙すそうだが、PVではセブンティーンがアンドロイドから逃げるように立ち去ってしまう。何故だろうか?そして、"本当の嘘"とはなんだろうか?
ここで、アンドロイドは所謂"常識的で一般常識のあるヒト"であるのを思い出して欲しい。
"本当の事"とは、セブンティーンに愛されたいという想いだろう。しかし、それは"嘘"であるという。どういう事かというと、依存心から"セブンティーンに愛されなければ私は否定された気がする"という想いからの行動だということ。
別にセブンティーンに愛されなくても"彼は彼"である。だが、
愛されなければいけない!!
愛されなければ私は否定され存在意義がなくなってしまう!!
という思いからの行動だろう。
そして、常識的な考えからセブンティーンを説得しようとしたのだろう。
「僕と付き合ってくれ、僕はいい大学に行って大企業につとめ、君を幸せにしよう、君が居れば僕は幸せなんだ」
といった感じだろうか。だが、その常識的考えは、周りの人から植え付けられたことだ。これを"嘘"と言わずになんと言おう。別にいい大学に行かなくても、大企業につとめなくても、誰かに愛されなくても、存在を認められなくても、生きることは可能なのだ。
(現に私はFラン大学を卒業して中小企業に勤めて何不自由なく生きている。恋人もいないが、別に死ぬほどではない。そういったヒトも多いはず。そしてどうでもいいが私は恋人が欲しいです←)
つまり本当の嘘とは、常識的な考え(=世間的に本当の事=別にそれだけが真実ではなく、依存心から発せられた自分の考えのない空っぽな動機=嘘)ということになるだろう。
そんなアンドロイド(友人)から逃げたいと思うのは、セブンティーンにとっては当たり前の行動だろう。なぜなら彼女は夢を追う、常識的なヒトではないのだから。
ここまでで恐らくお気づきの方もいるだろうが、常識や依存心といった概念がこの曲には散りばめられている。
そして世間に蔓延る常識というのは地域や時代、年齢によって変わる。それが"真実"であると思う事は"一般的な考え"であるのだが、そんな不安定な"常識"が本当に"真実"であるという保証はどこにあるのだろうか。
"僕は幽霊だ本当さ君の目には見えないだろうけど"
ここで出てくる"幽霊"とはなんだろうか?ここで読んでいる方に質問なのだが、幽霊と言われて何を思い浮かべるだろうか?
("寝ない子誰だ"を思い浮かべた方は、ぜひお子さんにこの本を読み聞かせてあげてほしい。)
幽霊といえば、目には見えない、存在するかも分からないモノ、物理的に触れられないが私に干渉するモノをイメージしないだろうか。
さて、上でも述べたが"常識"というのは地域や時代や年齢などで変わる。幽霊と常識は、似ていないだろうか?どちらも物理的に触れないが私に干渉し、目に見えず、存在するかも危うい。このふたつを照らし合わせながら歌詞を見てみると
僕(アンドロイド)は幽霊(常識的な人間、本当は依存心に塗れた人間)だよ、本当さ。でも、君(セブンティーン)には見えない(分からない)だろうね。なぜならセブンティーンは本当の意味で自分を信じて夢を追いかける常識を信じていないヒトなのだから。
という事になる。セブンティーンはまだ、良くも悪くも子ども(常識を持っていない)のだ。空の雷管が爆発するほどの。
と、長くなってきたので今回はここまで。私なりの考えなので、いろんな意見があるかもしれない。まぁそこは、「そんな考えもあるんだねぇ」と思っていただければいいかと思いますし、「なるほどなぁ、確かにそうだなぁ」と思ってくださる方がいらっしゃるならそれはそれでありがたいです。
引用元
youtube https://youtu.be/2PqxOytUjz0
アルバム「diorama」歌詞カード、作詞作曲:米津玄師
答えのない思索
ふと、悩みについて考えてみた。このストレス社会、悩みの少ない人は少ないのではないだろうか。
そこで今回、「じゃあ、なぜ悩みは生まれるのだろう」という事について考えてみた。
9月半ば、心身ともに疲弊しきって布団から出れなくなった私が行き着いた考えを書いてみようかなぁと思う。今、悩んでるのヒトのひとつの参考になれば嬉しく思う。
悩みはなぜ出るのだろう。
私達は「答えを出す教育」を受けてきた。だから、問題にぶつかったら必死に答えを探す。無意識に、たくさんの選択肢を想定する。
だが、それらが答えである、ということは無い。なぜなら現実は思索を超えるから。だから、答えを見つけられずに悩む。自分で5択問題を作っておきながら、「どれが正解だろう」と迷ってるようなものだ。
でも、その5択問題を解いてみても、「その選択肢の中に答えはありませーん」というのが実際のところだ。
そんなことしてウンウン唸ったって、なんも意味なんかない。
答え(現実)はそれらの思索を超越する。それら自分で考えた選択肢なんて何の役にも立たない。
答え(現実)はいつだってシンプルだ、答え(現実)は「今」なんだから。
なのにその答えを思索で求めようとする。子供の頃、教育を受ける前はきっとそんなことなかっただろう。
答えなんてない、正確には"思索によって求められる答え"はない。だから思索して悩むなんてことは無駄でしかない。
悩みなんて最初からなかったんだ。自分で「答え(現実)は思索で導き出せる」といった誤った考えをすることで悩みは生まれる。
その思索をやめて、世界(現実)に全てを投げ出せばそれでいい。今この瞬間を、答えを導こうとせずに生きればいい。
その先にあるものは、思索によって得たかった現実とは違うかもしれない。
だが、きっとあなたはその現実にまんぞくするだろう。なぜなら悩みなんてない現実を生きたのだから。
もうひとつ、私なりの答えを示そう。
思索によって答えを導こうとするのが間違いであるのなら、自分の考える自分なんてものも間違いだ。
そんなものは存在しない、自分なんて存在しない。自分を思索で導き出せると勘違いするから悩む。
自分なんて存在しないなら、守るべき自分(守るべき自尊心、知られたくない羞恥心)など存在しない。
怖い、というのは「自分が傷つくのが怖い」ということだ。
だが、自分なんて存在しない、思索で導き出した自分なんて、悩みと同じで最初からない。存在しないものが傷つくことはあるだろうか。
考えるのを放棄しろとは言わない。だが、思索で答えを導き出せるという思い込みは捨てるべきだ。
悩んでいるというのは、考えているのとは違う。答えを誤った方法で求めようとして身動きが取れなくなっている状態が悩みだ。
考えるというのは、現実を見ることだ。その現実から概念を抽出すること、それが考えるだ。
スピリチュアルでは、「今を生きよ」という。
それは、ない答えを求めるな、未来を思索で得ようとするな、過去から今を思索しようとするな、そういっているのだ。
ゴーゴー幽霊船の考察Part4
前回の記事で触れた歌詞、
"空の雷管とペーパーバック馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた"
について、実はもうひとつ考察がある。前回は比較的ポジティブな考察を取り上げたが、今回はネガティブな考察を取り上げようと思う。
ちなみに今回は1フレーズだけ取り上げるので短めです、ご了承ください。
また、前回の考察であろうと今回の考察であろうと、歌詞全体の意味自体はさほど変わらないので、今後この記事を読んでくださる方の気に入った方を採用して頂ければと思います。
1番Aメロ編その3.5
"空の雷管とペーパーバック馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた"
ここで前回の記事やWikipediaを参考にすると、雷管とは簡単に言ってしまえば爆発物。"爆発"と言われて、みなさんは何を思い浮かべるだろうか?
(岡本太郎さんを思い浮かべた方は是非1度、岡本太郎さんの執筆した本を読んでみることをオススメする)
爆発といえば、"怒り"では無いだろうか?怒りが爆発するという表現があるように、雷管=爆発物=怒り、と考えることも出来る。
ずっと病欠のセブンティーンという歌詞があるように、セブンティーンは家に引きこもっているのだろう。
さて、ここで爆発するのは誰の怒りだろうか?
おそらく、親の怒りが爆発するだろう。皆さんも仮病で休んだり、買い食いしたり、宿題をやらなかったりした時に、親に怒られた経験はないだろうか?
つまり、"空の雷管"の"空"とは、絶対的な存在である親(恐らく一般常識のある親)のことであり、"雷管"とは引きこもってるセブンティーンに対する親の怒りであるとするなら、この後に続く"ペーパーバック馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた"とは、
引きこもりながら夢を見ているセブンティーンが親に「引きこもってないで学校へ行け!夢見てないで勉強しろ!」と叱られて、日記にその不満を書き連ねている
と解釈することも出来る。嫌なことがあったときは、それを書き出して不満を解消するのは良い事だとされているため、この解釈パターンの可能性も大いにあるという事をとりあげて今回は終わりにしようと思います。
引用元
youtube https://youtu.be/2PqxOytUjz0
アルバム「diorama」歌詞カード、作詞作曲:米津玄師