ささきの考え

ただの薬剤師。趣味は哲学とスピリチュアル。考え行動したことや、Twitterでは書けない思いの丈を綴った長文や考察を記事にしてます。ツイッター→https://twitter.com/ssk_ske

ゴーゴー幽霊船の考察Part8

 

前回はサビの考察その1、電光版や沿線上の扉などが常識というラベルであることを考察しました。今回はサビその2です。

 

 

 

 

1番サビ編その2

 

 

"少年兵は声を紡げそこのけ粒子の出口隠せ"

 

 

少年兵とは、ここではアンドロイドの事だろう。大きな括りでいえば、常識的なティーンエイジャーとも言える。

 

「いい大学に行く」
「大企業に勤める」
「お金を稼ぐのは悪い事」
「貯蓄は2000万円必要」
「結婚しなけりゃ幸せではない」

 

そういった価値観を植え付けられたアンドロイド、彼は声(言葉)を紡いでセブンティーンを誘惑する。

 

粒子の出口隠せ、というのは、可能性を潰していけと同義だろう。粒子の出口(可能性)を隠せば(潰せば)、もう残された道は常識的な道。枯れたインクとペンで絵を書く必要もなく、敷かれたレールの上をただ歩く簡単な作業へと変わる。そういった人間が増えて喜ぶのは誰だろうか?依存心の強い幽霊たちだ。

 

 

 

 

"遠い昔のおまじないがあんまり急に笑うので"

 

 

 

幽霊船の乗員たちに後押しされるようにアンドロイドはセブンティーンに声をかけるわけだが、この歌詞はまさにその事を表している。

 

というのも、Aメロ編でも触れたが"マザーグース"と"遠い昔のおまじない"は同じ意味で、両者ともに「昔からある常識や価値観」ということだ。そう考えると、アンドロイドは常識や価値観に動かされているのが分かる。なぜなら空っぽな頭の中で、昔からある常識や価値観、もしくは周りの常識的なヒトたちが「そんなの違うよ!!」とあまりにも"急に笑う(騒ぐ)"ので。

 

さあ、ここまでで1番は終わりだが、私なりのこの曲の解釈、心当たりのある方もいるのでは無いだろうか?

ここまででも十分に米津玄師さんの「抽象的かつ真実を突く歌詞」っぷりは見て取れたのでは無いだろうか。

 

 

 

とりあえずのところ、1番の歌詞考察はここまでで終了とします。
次のパートを書くかどうかは、私の気分と皆さんが「書いて貰えたら嬉しいなぁ」という感想を持っていただけたなら書こうと思います。

 

長々と記事を書きましたが、ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

 

 

引用元
youtube  https://youtu.be/2PqxOytUjz0
アルバム「diorama」歌詞カード、作詞作曲:米津玄師

ゴーゴー幽霊船の考察Part7


前回はBメロ、幽霊船とは何か?善いも悪いもないのは何故か?を書きました。長々と続いたAメロBメロ編、今回からサビに入る訳ですが、今回も2パートに分けて書きます。




1番サビ編その1



"電光版の言葉になれそれゆけ微かな言葉捜せ"

 

 



ここで出てくる電光版は、普通に考えで良いだろう。まぁ看板やCMといったものか。電光版の言葉になれとは、「もっと常識的に生きようよ」と言っているのだろう。流行りに乗れ、と言っているのと同義だ。

微かな言葉とはなんだろうか?言葉とは所謂"ラベル"だ。例えばコップ。コップとは、"液体を入れて口にするために使われる道具"というような意味を持っているが、これが"液体の薬品を入れる道具"に変わるとビーカーやフラスコと名前が変わる。他にも"液体が漏れでないように蓋の着いたクビレのある液体を入れる道具"と言えば瓶やペットボトルとなる。同じ液体を入れる道具でも、名前(=言葉=ラベル)は変わってしまう。つまりは、微かな言葉とは着飾るためのラベル(=ブランド)と解釈することができる。幽霊たちは、空っぽな自分を隠すためにちっぽけなラベルを探している。

 

 

 

 

 

 

"沿線上の扉壊せ見えない僕を信じてくれ"

 

 

 

 

沿線とは、線路や道路沿いの場所のこと。つまりここでは、常識と非常識の境目のこと。アンドロイドは常識側、セブンティーンは非常識側にいる訳だが、その間にある扉を壊せと言っている。つまり、やはり「常識的に生きようよ」と言っているのだ。

 

 

見えない僕を信じてくれとは、幽霊(常識や依存心まみれ)のアンドロイドの言葉、つまりは常識を信じてくれ、僕の言ってることは正しいんだから!と言っているのだ(空っぽな彼は何を根拠にそう言っているのだろうか)。

 

夢を見るセブンティーンにとっては、いい迷惑だろう。

 

 

と、今回はここまで。前回のBメロ編もそうだが、しっかりと読んでくださったか方ならこの短い考察でも、この曲が既に現代社会を風刺しているものと感じるのではないだろうか。かく言う私も根っからのアンドロイドだったわけだが……まぁ、それはまた別の話。

 

次回はサビその2です。

 

 

 

 

 

 

引用元

youtube  https://youtu.be/2PqxOytUjz0

アルバム「diorama」歌詞カード、作詞作曲:米津玄師

ゴーゴー幽霊船の考察Part6

前回は幽霊≒常識、セブンティーンは常識に囚われていない少女である、ということを書きました。
今回からゴーゴー幽霊船の歌詞のBメロの意味について考察していきます。Bメロが今までより短くて、記事を書く気持ちが楽になったのは内緒。





1番Bメロ編



"そんなこんなで歌っては行進する幽霊船だ"


ここで出てくる"幽霊船"とは、幽霊を常識的なヒトとするならば、常識的な価値観を持った集団や組織のことだろう。
そんなこんなで

「夢なんか叶わないよ」
「諦めていい大学に入りな」
「一緒に受験しようよ」

と言葉をかけて(歌って)、セブンティーンを誘惑する。皆さんの周りにも居ないだろうか?実際にやったことも無く、専門知識も持っているわけでもないのに

「小説や音楽で食ってくなんて無理だよ」
「不動産?破産して終わりだよ、やめとけ」
「株なんて損するだけだよ」

というヒト。そういう人達の集団。実際にやってみてアドバイスをする人とは違う、ただ空っぽな考えで動く集団、それがここでいう"幽霊船"だと考えられる。





"善いも悪いもいよいよ無い閑静な街を行く"



なぜ善いも悪いもないのだろうか。彼ら幽霊船の船員たちは、自分の意見を持っていない。絶対的な善い事や絶対的な悪い事は本来、ひとりひとり違うはずだ。私にとって「靴を綺麗に履くのがいい事」だとしても、他者からすれば「靴のかかとを踏み潰して履きやすくするのが善い事」であることは往々にある。


だが、みんなが「靴を脱ぐ時は脱いだ靴を揃えなさい」というから、それに従っているだけの人もいるのでは無いだろうか。もちろん、本心から靴を揃える事で心が揃うと考えている方もいるだろう。しかし、自分をよく見せたいという依存心からそういった周りの意見に流される方もいるのでは無いだろうか。


善いも悪いなく、閑静な街(一般常識や依存心に塗れた世間)を幽霊たちを乗せた船は行く。



と、今回はここまで。今回はサクッと終わって安心してる佐々木です。Aメロが長かったぶん、ここまでしっかりと読んでくださった方にはスルッと内容が入ってきたのではないだろうか(入ってきてない?私の文章力不足だ、すまんな)。
次からサビです。




引用元
youtube https://youtu.be/2PqxOytUjz0
アルバム「diorama」歌詞カード、作詞作曲:米津玄師